① ジャズ喫茶への初めての邂逅 MY FIRST ENCOUNTER TO JAZZ CAFE

ジャズ喫茶

These several posts are in trial again to introduce Japanese UNIQUE Jazz cafe culture.

Thank you.

My individual first encounter with Jazz cafe is rather rate, because I was born in rural area in Aichi Prefecture (around 250km west from Tokyo) and no such places around there.

私は1960年から78年まで、愛知県三河の片田舎に育ち、周りにジャズ喫茶と言えるものがほぼ見当たらず、ジャズ喫茶に出会ったのは非常に遅かったのです。

However, I got deep interest in jazz itself when I was a high school student, reading jazz magazine “SWING JOURNAL” from corner to corner, as well as all advertisements of jazz cafe.

Therefore, I was familiar with jazz cafes only by the name.

ジャズそのものには高校生の頃にどっぷりとはまり、SWING JOURNALをむさぼり読むような少年で、後ろのほうの広告までシッカリと目を通し、全国のジャズ喫茶の多くの名前は覚えたものです。しかしながら頭の中だけ。名古屋に出るのは少し遠く、名古屋の名店には現実の目は届きませんでした。

Sorry too much local issue, but there was one favorite jazz cafe of me named “GROTTA” in Toyohashi city not so far from my hometown. (It is interesting to talk about my favorite place in hometown.)

唯一、豊橋はもう少し近く時折出かけたため、「ぐろった」を見つけ、よく行ったものです。古いアメリカの片田舎にあるようなウッディーな店内。マスターもそんな雰囲気を醸し出していた(記憶です・・)ような。正直なところ、ジャズを聴きに行くというよりもっと別の雰囲気に浸ったところが大きかったのかもしれません。(帰省したときに寄ったら、残念ながら閉店していました。しかし最近また復帰したようですね。機会を見つけていかなきゃ!)

In any way, as for conclusion, “MY FIRST ENCOUNTER TO JAZZ CAFE IS TOKYO”.

そういう意味では私の「ジャズ喫茶初邂逅」は東京です。

地元のすべての方々には大変申し訳ないのですが、3人男兄弟の真ん中ということからも、ずっと外に出たくてしかたがなかったのです。高校を卒業したら必ず東京に出ようと考えていました。なぜか早稲田大学に行きたかった。五木寛之の影響が大きかったのですね。ほとんど遊びがてらとしか言いようがないのですが、3年生の夏休みだったでしょうか、「下見」と称して大学を覗きに行かせてもらった。

To be honest, very strongly I had an intention to leave my hometown after graduating high school, ONLY TO GO TO JAZZ CAFE, FOR EXAMPLE “INTRO”.

INTRO is one of the well established jazz cafes in Japan, located in Takadanobaba, near Waseda University. I wanted to go to Waseda University (failed…..) only wishing staying almost whole time in INTRO. Young people hold nothing but DREAM, or to say, DELUSION.

I wished at that time to put the whole my DREAM or DELUSION inside jazz cafe space.

That was my relationship with Jazz cafe.

実は「INTRO」に行きたくてしかたがなかったのです。自分の学生生活の拠点と、完全に頭の中は出来上がっています。ただ苦いコーヒー。煙草の煙で向こうの方は見えない。授業なんてさぼってここが教室、ってうそぶける。あわよくば都会のセンスよきお姉さんと一緒に来ることだってできるかも。若者の健全な反逆。芸術への畏怖。夢の追求。ジャズ喫茶の狭い空間にすべてを詰め込もうとしていたかのようです。

Of course such delusion inside me was over long time ago.

On the other hand Golden Era of Jazz Cafe (’60s and ’70s) was over.

I want to think about these two parallel issues to understand more both in myself and jazz cafe culture. Thank you.

この妄想、って実は結構60年代70年代の「ジャズ喫茶黄金期」の空気に重なるのではないでしょうか。

「ジャズ喫茶は日本独特の文化」

よく言われることですが、自分ではいまだにうまく消化できていません。幅広い形に変貌しながら生き延びてきているジャズ喫茶を前に、ただ当たり前かのような空気感を感じるのが現実です。

一方で、私にとってのジャズ喫茶はこの「妄想」に繋がるのは間違いなさそうです。

当時の「独特の世界観」と「現在の幅広い形態への現実世界」。この間を結ぶ奥まった幹こそが、「日本の文化」だと思います。もう少しその幹を自分なりに掘り下げてみたいと思います。

Tokyo Jazz Cafe Walking

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