伝達

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先日母のことについて書きました。次は父です。これは大変です。母は晩年の一時期を除き、比較的わかりやすかった。しかし父はそうはいきません・・・

1929年7月13日、愛知県に生まれ、2015年10月21日。息を引き取りました。

① 私の人生をベースにすると、記憶が残り始めるようになった5歳から、55歳までの50年間としたときに、一体いつの頃が、父の存在を一番「近く」感じられたのでしょうか? たぶん間違いなく30過ぎに結婚を意識し妻となる人を紹介しようとしていた頃。(結婚が遅めだったのです) 父の年齢で言うと60歳過ぎ。仕事も第一線から離れつつあり、自分の時間を取れるようになり、母と一緒に旅行を楽しむことが増えた頃。趣味を持ち毎日の生活に彩りを見せ始めた頃。思えばその頃に明確な変遷があったようです。

その前は、かなりピリピリしていました。近寄り難くさえあった。家庭を守るというのがいかに大変であったのか。家内は「変遷後」の姿しか知りません。変遷前を伝えても、「えーっ??」と疑問符ばかりを身にまとう。そのくらいです。

そうなんですよ! その「変遷期」はちょうど今の私と同じ時期。そういう時期に今私はいる、ということですね!! 子供を持つ身です。これからの時間の重大さに改めて身が引き締まります。

② 父が亡くなったとき、私は中国の南部都市に駐在で生活していました。「覚悟」が必要であることは少し前に兄から聞かされ、ある程度の覚悟はしていました。そして、あるときに兄からの電話で「一度帰ってこられないか」と伝えられたのです。そのときはちょうど駐在の任期が終了する頃で、諸準備で猛烈に忙しかった。電話を受けた時にすぐに飛行機を最短で予約することができずに、「調整」をしてしまったのです。その調整の間に、次の電話を受けることになってしまった・・・・・

皆さん、海外で仕事をする、ということはこの辛さのリスクも引き受ける、ということなのです。

もちろんその調整に何日もかけません。一日です。しかしその一日は、これまで経験したことのない自虐で私をずっと苦しめました。今になっても「ありえない」と思います。

さすがに最短で実家に戻り、姉から文字通りの最期の言葉の一つだったのでしょう、「xxはどうした??」と聞かれ、「もうすぐ来るから待っていてね」と答えてもらったそうです。それを聞き、父と対面したときからずっと、「あのとき何を伝えたかったの?」と問いかけました。何も答えずただにこやかに穏やかにしているだけです。これが更に自虐を数倍塗り固めていくことになります。。。たぶん最後までその答えを求めて毎日を過ごしていくことになるのでしょうね。

これからのある意味での非常に重要な時間。「やるべきことをやり」「伝えることを残さず伝える」それが答えなのだと思っています。

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