⑥ ジャズ喫茶の「サービス」と日本文化

ジャズ喫茶

ジャズ喫茶を構成するものとして、

① 音源(レコード+CD)と機材としての「音」(たぶんこれが最も重要)

② 飲み物+食事

③ 日本的な言い方での「サービス」

があげられます。ジャズ喫茶の多様化で、②と③が幅広くなってきています。また、①と②はどちらも世界でも汎用な訴求であって、「日本性」を特別に打ち出していくものでもない。一方で③が非常に文化的な特性を追求できるものです。

さて、そんな視点でジャズ喫茶を見るときに、私は残念ながら60年代、70年代の「全盛期」での熱気には体感が弱いのですが、様々な「証言」からも決して全体でのサービスは上質ではなかった,と言えるのでしょう。曰くジャズ喫茶の親父は頑固でやたらと敷居が高い。曰く煙草の煙が充満した環境でコーヒーはまずいのが当たり前。

こんなイメージのジャズ喫茶が、古い時代での「日本独特の文化」の一つの象徴と言えたのかもしれません。

しかし、これって皮肉なことに、よく言われる日本人の長所にあげられる「細かい気配り」とは真逆なものですね。

むしろ、全盛期を過ぎて以降、必死になってジャズ喫茶を存続させていく過程で、この日本人の長所を強い意志で取り入れてきているのが現在の姿と言えるように思うのです(正直に言えば、今でも、多くの方のご指摘がある通り、複数の店ではそんな過去を未だ引きずってきているように感じられるのですが・・・)。

「私語禁止」の店は端的ですがそうでもない店でも、他のお客さんを考えるとせっかくの店主さんとゆっくりと話したくても遠慮してしまうことが多い。

店と客とのコミュニケーションを取り辛い絶対的な構造が、「細かい気配り」を取り入れ辛いところを、様々な努力で多くの店が客の意向を掴むことに尽力しているのが痛く伝わります。ある店はノートを取って常連客の好みを掴むようにしている。ある店は定期的にセミナーを開き広くジャズの文化の啓蒙を続けている。(そういえばレコードコンサートはずっと以前からの「定番」であったようですね) 非常に多くの店はSNS等で店ではなかなか伝え辛い店からのメッセージ、店主の思いを伝播させている。。。。。

昔のジャズ喫茶の画一的とも言えるイメージから日本文化を探るよりも、現在の姿から見られる「日本文化により立脚した姿」からジャズ喫茶の文化的側面を見たほうが、より楽しいように、私などは「お気に入りの店」の椅子に座りながらいつも感じています。

Tokyo Jazz Cafe Walking

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