ようやくニッポン列島も朝晩はめっきり涼しくなりましたね。やったー、オイラの走りの季節だ!ちょうど先ほども家の近辺を流してきました。
いえいえ、そんなに物事は簡単には回らないのです。老朽化した電算機は、スイッチを入れてもそんなに簡単には動き出さないのです。どうしても自分で勝手に操作上のルールを作ってしまう。例えば、「俺って大会が目の前に見えて、申し込んで、お金を払わないとスイッチ入らないんだよねー」みたいな。残念ながら今、目標となる大会は期待できません。さあ、どうするか?せっかく走り始めても、もう、涙の出るほど短い時間で両足は勝手に動きを止めてしまう。人間の言い訳ほど厄介なものはありません。
だいたいが、50過ぎに「復帰」した走りです。普通に考えてすべては「下り坂」にしかいきません。もともとが「負け戦?」
本当のことを言います。私はフルマラソンには、これまで一度しか経験がありません。2016年の横浜マラソン。中国の海外駐在から帰任しても、業務的に非常にうまく回らずに困惑の毎日でした。何とかしたい。一縷の望みで叩いたのがフルマラソンの門でした。それまで、「ハーフマラソンは何とかわかっても、フルマラソンはさっぱりわからない。無理、絶対に無理」だったのです。
そうなんですよ。「見えない壁」。これって、挑むには十分なる壁なんですね。少しずつ距離を延ばす。しかしいつまでも少し先は闇。
その当時は本拠地は皇居外周でした。着替えを持って会社の帰りに寄って、走る。暗くなったからです。しかし充分照明はある。雨が降ったのでもない。路面はしっかりと見える。それでも一度、滑ったのか足が絡んだのか、思い切り転倒したことがありました。今思い出しても恥ずかしい、というかいい大人がやってはいけないことですよね。しかし、どう考えても、「見えない壁に挑む必然」であったとしか思えません。
まあそんな苦行の効果なのか、本番では「悪くないタイム」が出せました。ゴール後に公園に座り込んだら1時間は動けなかった。そんなのはご愛敬です。
さあ、ここで疑問です。果たしてこのフルマラソンは「勝ち戦」であったのか?それ以降、再挑戦の機会はありません。ハーフは定例的に楽しんでいます。記録を伸ばす楽しみだってあった。しかし、それだって、「見えない壁」に挑んだのに比べれば、「勝ち戦」と言えるのかアヤシイ。
村上春樹さんが仰った「負け戦に挑み続ける」。これって、「見えない壁に挑む」最大級のものだと思います。
さあ、再び明日からの「絶好の時期」。一方で現在の自分の目の前の話になると「急降下」です(笑)。
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