逃げる力・捨てる力

雑記

「会社なんて辞めたらよかったんや。何で、何で、何で」

30年更に少し前のことです。大学の友人の葬儀の帰り道に、みんなで同じことを語り合いました。体育会系で明らかに強靭な精神を持ち合わせていました。たぶんそこを買われて大手の商社に就職、順風満帆と見られていたときの突然の悲劇でした。私たちも会社組織に属しています。だいたいが同じような圧力を受けていて、気持ちはわかります。世の不条理も愚痴としては同じように語り合ってきていました。

どんな立場、状況であったのか正確には知るよしもありませんでしたが、しかし自分の命と引き換えにできるものなどあるはずがない。今でもそれはゆるぎなく思うものです。しかしその当時、「逃げる力・捨てる力」についてあまり考えてはいなかったようです。

さてさて本日のニュース。若年層の死因の一位は自殺だそうです。これは私にはかなりの衝撃です。

Yahoo!ニュース
Yahoo!ニュースは、新聞・通信社が配信するニュースのほか、映像、雑誌や個人の書き手が執筆する記事など多種多様なニュースを掲載しています。

自分を振り返り、少なくとも20代までは「バラ色」とは言わないものの、「怖いものがない」時代でした。部分的にでも「あの時代の感覚を呼び戻したい」。そんな思いをブログに入れ込んできています。

そんな貴重な時期に自殺で生命を断つなんて、とても考えられません。一人の親として更に思います。

下記は男性、有職者に限った資料ですが、年代別の自殺の要因比率。友人は当時20代でした。「仕事の疲れ」に計上されるのでしょうね。

改めまして、「仕事」と「自分の命」は比較できるものではないです。それを何故、仕事を捨てることができずに、自分の命を捨ててしまったのか。「逃げる力・捨てる力」が少し足らなかった、と思わざるを得ません。自分だってその当時の立場に必死になってしがみついていました。「たまたま」逃げるだけの事態にならなかった。そういうことかもしれません。いや、「もし」なのですが、そういう事態になれば逃げたように思います。その力はどこで作ってきたのでしょう?

下記は、「友人」を外した一般論です。「逃げる力・捨てる力」を「精神力」の範疇に入れると、そのベースを作るのは、私は「家庭内、もしくはそれに類する場」だと思うのです。「守られている」実感を一番持てる場。そこにおいて精神力はもっとも育まれる。私はそう思うのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました