人生でたぶん最も濃密な親子の時間

雑記

「もうあれから1年も過ぎるのか!!」

高校生の前で話すこともありますが、専ら自分自身に向かって語りかけるのがほとんどです。

ウチには大学生の娘と高校生の息子がいます。どちらも一年生。コロナの渦中に卒業と入学をしました。大学生の高校受験のときは、まあ比較的順調でしたが、高校生はそうはいかなかったです。試練。

もともと自分自身を言うと、高校受験・大学受験共に極めて淡白で、親も仕事に忙しく今では信じられないくらい「放任」であったため、自分の子供の受験への接し方も戸惑いばかりでした。だいたい塾というものが自分では経験のないしろもので・・・さすがに「塾など行かずに自分でできるだろう」などと言うつもりはなく、環境だけは整え、「その後は自分で責任持ちなさい」。こんなスタンスだったように思います。

「自分で責任を持つ」

一体これはどういうことなのか?試練の過程でこの言葉が私に向けて毎日のように矢となって突き刺さってきます。自分自身に向けての責任ではない、しかも未成年に!何と無責任な。

もし、結果が最終的に子供が望むもので全くなかったとすると、子供に責任を持たせると同時に、親は何を責任取るのでしょう。こんなことを考えてばかりでした。

最終的には、幸いなことに、というべきなのでしょうが、自分で納得できるところに結果を出すことができました。まあしかしそれは「結果」です。

人間と人間との距離感覚というのは非常に微妙なものだと思います。親子であっても、いつまでもベタベタするのは私には無理。通常は成長するにつれて、適度に離れていきながら距離感覚を保っていくものと思います。最も「濃密」であれるのは、高校受験のときではないか、と今思います。近づくときは思い切り近づき、頃合いを図り他は離れた位置から見守る。こんなことが可能な貴重な時間なのかもしれません。普段子供に見せない「顔」を見せてしまう時間でもあるかもしれません。子供の目線に寄り添った「悩み・もしくは苦悩」。こんなのも親の成長の一つなのかもしれません。

今年の受験は他の年と比べどう違うのか?親御さんの心配は倍増されているのでしょうね。しかし各種ニュースでは「自分の問題」として迫ってくることはもうありません。基本的には同じようにも思います。ただ「今」を大切に。この時間はこの時間にしかないのですから。

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